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「加齢美」に生きる

          「加齢美」に生きる

 

日本の社会は、世界のどの国も体験したことのない長寿国として、急速に老齢化社会を迎えようとしています。

私は、こうした世の中の動きに対して1982年をスタートとして、「加齢美元年」ということを提唱しているのです。

「加齢美」という言葉は、単なる流行語としているのではありません。美意識の再確認なのです。もっと深くつきつめてみれば「加齢美」とはこれからの老齢化社会に対する「心構え」でもあるのです。女性の美を考える時、若くピチピチしている時代だけを「美しい」と、とかく言いがちです。美しさを一言でいってみれば、私は「活気がある」ということだと思うのです。俗に「ピチピチ」という表現は若さを表すように思われていますが、私は「活気」を意味していると思います。若い人なら誰でもピチピチして若さが溢れているとは限りません。人間に大切なのは「活気」であって、その人から活気を感じるか感じないか、「若さがあるか」「若さが無いか」になるのです。

したがって美と活気は一体なもので、活気を感じない人に美しさは存在しないのではないか、と私は思っています。

10代の活気には大人を目指す頼もしさを感じ、20代から30代は大人の世界の活気を感じます。20代、30代は生活におけるあらゆる知識を吸収する時代でなければなりません。

食生活の知識や化粧品に対する知識などは、美容と健康の基礎づくりに最も大切なものです。美容室には常に勉強している店と、流行の髪型だけを追う店などさまざまあるわけで、その選び方を間違えると、まるで逆方向に行くことになります。

私の提唱するベル・ジュバンス弱酸性美容法を取り入れている美容室は、美容と化粧品に対する専門的な知識はもちろん、健康に対してのアドバイスを的確にしてくれる活気溢れた美容室が多いのです。人生30代から40代にかけて、すべての勝負をかける時代になります。つまり知識の内容で勝負が決まることになるからです。50代から60代は、心に対する勝負の時です。人のうわさ話に花が咲くようでは、その人の人生で進歩はありえません。また、感謝の時代でもあるのです。老人になると「与えられる人」だと思うようになりますが、こう思うようになったら本当の老人になってしまいます。

暦の上の年齢がいくつになっていても、人に与える何かを持つことです。心の上で他人に与えるものがあるうちは、活気があるはずです。或る人が人間には生命波動という働きがあるといいます。つまり、人を恨めば恨まれる、憎めば憎まれ、馬鹿にすれば馬鹿にされるというように、自分の心から発した波動は、そのまま自分に帰ってくるというのです。その反対に他人の為に心がけたり、人の役に立つ心がけをすれば、必ずその波動はプラスの波動になって、善徳が得られるわけです。こうした心の表れ方が、顔の表情となって深い美しさを表現します。目的のない人間であれば「老人」になのです。幾つの年齢にあっても、人に与えられる心を持つ、これが「加齢美」の原点なのです。

 

                        山﨑 伊久江

                 (1986年 会員向け会報誌より)